1994年当初のいわゆる「次世代機」(他にはPlay station,
Sega saturn、PC-FX、ATARI Jaguarなど)の一番乗りを果たした
Panasonic「3DO REAL」。でも、市場から消えてしまうのも
一番乗りだった悲しきマシーン
(ジャガーよりは持ったカモ)。
海外ゲームがとっても多かった「3DO」。
今なら、
「欧米か!?」
とつっこまれそうな
マシーンですが、実際にアメリカ生まれのマシーンです。
今回はそんな悲運なマシン「3DO」のお話。
「3DO REAL」の発売ちょっと前まではホビーコンピューター
としては「最後のMSXシリーズ(MSX TURBO R)」を販売していた
Panasonic(松下電器 ナショナル)。その数年前はライバル
ソニーもMSX2+を販売していましたが、次のホービーコンピューター
というかホームコンピューター、つまりは「ゲーム機」として
世界のSONYは、しっかりPSを準備していたわけだ。
MSXマシーン自体はSONY、Panasonicの他に、サンヨー、
日立、東芝、カシオ、ヤマハ、パイオニア、などなど
あらゆる家電メーカーやAV機器メーカー等から発売
されていた共通企画のホビーパソコン。
人気があったのはパナソニックとソニーのMSXでしたね。
でも、やはり時代の流れには勝てず、急速に衰退し、
最後はパナソニックのMSXだけに
なってしまいました。
「MSXではもう駄目だ」と感じたPanasonicとしても、
次に販売するホームコンピューターを開発する
必要があったわけです。
当時、パナソニックは、名称に「王」が付く
ブランド(シリーズ)展開をしていて、例えば、
大画面テレビは「画王」
ビデオデッキは「録画王」となっていた。
そしてホビーコンピューターは「3D王」にした
というわけだ(大ウソ)
真相は 「3DO」の「3D」は
「3Dimension」つまりは3次元。(予想通り)
「O」は「videO audiO」に共通の「O」を取ってきたもの。
ビデオやオーディオみたいに、気軽に使えるマシーンを
目指しての命名だそうだ。
もともと「3DO」というのはパナソニックが考えた
というわけではない。
一号機がPanasonic製だったので、そう誤解している
方も多いようだ。
(3DO牽引メーカーであったことはマチガイない)
もともと外国で開発されていた3DO。
「The 3DO Company」という1990年に設立された
アメリカの会社が各社にライセンス提供するという形で
「3DO」規格は普及していった。
もともと「3Do」というのは、
MSXみたいな共通プラットフォームの名前。
だから、SANYOからも3DOがリリースされていました。
名称は「3DO TRY」でした。
他にはLG電子とかも海外で販売していましたが、共通規格
というわりには、ハードの発売は少数の会社しか参加してい
ませんでした。
他にはパソコンに拡張ボード(ISAバス)に
刺すタイプ「3DO Blaster」がCreative Lab社より
販売されていましたが、ゲーム機タイプよりも
結局は高価で、あまり意味が無かったことを記憶しています。
一風変わった「洋ゲー」が多いのが、一部のカルトな
方には人気でした。でも、「日本のゲームは世界いちぃぃぃ」
なわけでして、どうしても海外ゲームには、おおざっぱというか、
大味なゲームが多かったのも事実です。ようするに海外ゲームは
「あくが強い」わけ。色使いも原色が多いケバケバしいものが
多い。
洋ゲームには、異文化に触れられる、「考えられないアイデア」
があるなど、時には刺激あるゲームや過激で魅力あふれる
ゲームがあり、そういったゲームは日本でも大ヒットしました。
でも、そういったゲームでも日本人向けにローカライズされた
ゲームも多い。
例:テトリス、シムシティー、レミングス、ポピュラス、
モータルコンバット、ランパート、NFS、DOOM、
などなど。
(レミングス 3DOオリジナルオープニング)
そんな3DOにも、
「がんばってくれた日本のゲームメーカー」が
少なからず存在しました。
その一つとしてワープというメーカーがありました。
社長の飯野氏の濃いキャラクターも話題になりましたが、
「Dの食卓」など、技術的にも、アイデア的にも優れた
個性的な秀作をリリースしていました。
そのおかげで、一時は3DOの販売台数も上向きになりました。
また、当時の超ヒットゲーム、カプコンの
「スーパーストリートファイターIIX」が一番最初に移植された
のが3DO。多分、パナソニックがCAPCOMに猛烈にアピール
というか、頼み込んだのでしょう。
これにあわせて、新型廉価版3Doも発売したりと
パナソニックも3DOに「命をかけて」がんばった時期も
ありました。
でも、それ以降魅力あるソフトをリリースできなかったため、
1996年ごろには自然消滅していきました。
わずか発売から2年ぐらいの命だったこと
になります。ちなみに、「The 3DO Company」は1995年後半には
3DOを投げ出し、Panasonicが事業を受け継いでいました。
結局は「スパ スト2X」だけのためにハードを買った人も多く、
それが飽きたらソフトもろともハードも売却という人も
けっこう多かった。
そりゃあ、3Doでは、PSやSSには勝てませんよ。
でも、大企業パナソニックが販売していたこともあり、
TV-CMや店頭デモ、イベント、雑誌広告などの
宣伝はものすごくしていましたので、当時「3DO」は
一般の方でもその存在ぐらいは知っていたかもしれません。
そんな3DOのソフトでも、面白いソフトはいくつか存在
します。全てダメダメだったというわけではありません。
ドラえもんファン必見の
3Doオリジナル シリアス スートーリーのソフト
「ドラえもん 友情伝説ザ・ドラえもんズ」とか、
「チキチキマシン猛レース」とか、
過激バイクレース「ロードラッシュ」とか、
まるでTVクイズ番組みたいで楽しい
「爆笑!!オール吉本クイズ王決定戦」、
フェラーリやランボールギーニが実名で登場し、操縦できた
「オーバー ドライビン(元祖NFS)」、
個性的マージャン「オヤジハンターマージャン」などなど、
名作もあるにはあるのです。そのほかにも楽しい
ゲームはいくつか存在します。
でも、「つまらないゲーム」が多すぎて、そういった
名作が、うもれてしまったワケ。往年のアタリショックに
似てますね。もっとも、3DOの場合はゲームの
リリース自体が少なかったというのも衰退の原因ですけどね。
でもなんだかんだ言っても、国内版として約200タイトル
ものソフトが発売されていました。
こういった「うもれた名作」もいつか紹介していきます。
普及しなかった理由はまだあります。
日本上陸当初の「3Do」は定価79,800円と
あまりにも「高すぎ」でした。
タカスギグループの歌が頭をよぎるぐらい高価でした。
(こんな物まで見つかるYouTube やまられません)
PSやSSは損してでもハードを普及させ、
自社開発ソフト(またはサードパーティーからの
ロイヤリティー)で、利益を上げるという戦略で、
本体の価格を抑えることが出来るのですが、
Panasonicは決してソフトメーカーではありません
ので、そういった戦略はとれなかったわけです。
損してまでハードを売っても何の得もないわけです。
3DOは「ゲーム機」というよりもマルチメディアプレーヤー
(インタラクティブ・マルチプレイヤー と称していた)
としての普及も目指していたこともあり、フォトCDや
VIDEO-CD(オプション)の再生も出来るなどのゲーム以外の
機能をアピールした販売戦略をとっていました。
結局は「情報家電」という位置付けのマシーンだったため、
日本で生産して、輸出するときの関税が高かったらしい。
輸出するときの関税が「ゲーム機」よりも高い、
「ビデオデッキ」等と同じ設定が適用されてしまったらしい。
ますますパナソニックの売り上げ(利益)の圧迫につながる
ことになるのは言うまでもない。
ハードウエァ的には、32ビット(ARM60 12.5Mhz)で、
スプライト機能もあり、解像度もVGA(640×480)、
ちょっとしたポリゴン機能(テクスチャーマッピングも可)、
動画再生能力もそこそこあるということで
「次世代機 一番乗り」としても、一応は話題にはなりましたが、
本格的なポリゴン機能もなく、CD-ROMの読み込み時間がとても長い、
価格が高いなどの欠点も多く、半年後にはSSやPSが発売されると言う
こともあり、普及にはいたらなかったわけです。
3DOの後継機としてPowerPC602(66Mhz)を
ダブル搭載マシーンの「M2」なるマシーンも開発されていました。
ちなみに「3DO」とは互換性の無い規格です。
当時としてはとんでもない性能だったので、とても発売を期待して
いたのですが、ついには一般販売されませんでした。
PSによるSONY帝国があまりに強大なものになっていたのが
影響していたのは言うまでもありません。
(M2で開発中だったDの食卓2)
最終的にはパナソニックに売却された「M2」。
その産物として、業務用としてはリリースされました。
あまり知られていませんがアーケードゲーム基盤として、
90年代後半にコナミの「とべ!ポリスターズ」、
「Battle Tryst」、「Evil Night / Hell Night」
「Heat Of Eleven '98」、「Total Vice」等に
M2が採用されていました。(どのゲームもマイナー
な存在となったこともM2にとっては災難でした)
http://www.system16.com/hardware.php?id=575
ゲームハード型としては、一般販売はされませんでしたが、
例えば、CADもどき(3D あっとホームみたいなソフト)の
専用ハード&ソフトとして完成され、ハウジングセンターなどに配置
されていたりと、ひっそりとM2が活躍はしていたようです。
(ソフト込み、一式50万円とか、とんでもなく高かったようです)
また、「The 3DO Company」は「3DO」衰退後は、
実はプレステやサターン、PC用ゲームなどの開発も
行っていたのですが、ついに2003年の5月に力尽きました。
っていうか、ついちょっと前の2003年まで
存続していたのが逆に驚きでした(汗)
現在は「3DO」がエミュレーターで体験できたりします。
また、本体デザインがかっこよかったので、PC/AT化する
ツワモノもお見えです。
http://ryunosin.hp.infoseek.co.jp/PC_3DO.html
(すごい、すごすぎる)
結局のところ、今、「3DO」を覚えている人は
どれぐらいいるのだろうか?
たまには、この忘れられた個性的マシーンを思い出して
欲しいものです。